映画「スタンド・バイ・ミー」に登場した、心に残るセリフを全てまとめて記事にしました。
本作のテーマは「時間の経過による物の見え方」だと思っています。
同じ作品、同じセリフ、同じ場所でも子供の頃と大人になってからでは感じるものが全く変わること、あると思います。
本作に登場するセリフもまさにそれで、同じ言葉でも観る人の年齢や人生経験で感じ方が180度変わることでしょう。
今回はそんな本作を鑑賞した上で、心に刺さったセリフをまとめてみました。
映画スタンドバイミーに登場した生涯残る名言
ぬまた時系列順にセリフをピックアップしました。またセリフは、基本吹き替え版から私が書き起こしたものです。
私にはそこが全世界だった
「私が初めて死んだ人間を見たのは12歳の時だった。あれは1959年の夏、ずいぶん昔になる。だが私にはつい昨日のことの様だ。私はオレゴン州のキャッスルロックという小さな街に住んでいた。人口はわずか1281人だったが私にはそこが全世界だった。」
大人のゴーディ
誰しも少年時代は、自分の生まれた小さな町が全世界。
本作の出だしを飾る印象的なセリフです。
君はいい小説家になれるよ
「君はいい小説家になれるよ」
「パパの言葉か?君の父さんは何わかってない。(死んだ)兄さんで頭がいっぱいだ。代わってやりたいよ。おれがパパなら就職組に行くとは言わせない。君は才能がある。ものを書くのがうまい。でもそれを誰かが育てなければ才能も消えてしまう。君の親がやらないならおれが守ってやる。」
クリス
常にゴーディのことを理解し、彼を精神的に支えていたクリス。
12歳の少年ながらも、息子を亡くしたことで気が気じゃない父親目線の気持ちも理解している、立派な人格者でした。
そんな彼の印象的なセリフです。
恋人もいない子供に友人は何よりだ
「夜中まで話した。恋人もいない子供に友人は何よりだ。」
大人のゴーディ
彼らのような旅の経験を持つ大人は稀でしょうが、この場面に限っては修学旅行の夜のテンションに似てるなと、個人的には感じました。
特に小6の頃の修学旅行の夜は、彼らのように恋人も居ないものだから、仲間と色々な(良くも悪くも下らない)話をした記憶が私にもあります。
あの時間だって当時はなんとも思わなかったですが、今となればもう二度と手に入らない貴重な時間。
国や文化が違えど、多くの人の心に眠っているそんな感情を映像化したのが本作のあの夜更かしのシーンかなと思っています。
おれは行きたい、だれもこのおれの事を、知らない場所に..
「でも思わなかった。思ってもみなかった、先生が、あんなこと、するなんてさ。だから、おれは行きたい、だれもこのおれの事を、知らない場所に..。おれって女みたいか?」
クリス
このセリフは、クリスが珍しく弱音(というか過去のトラウマ)を見せて、涙ぐんだ場面で登場したものです。
クリスを縛り付けていた、「家庭環境ゆえの偏見」にクリスは以前から悩まされていました。
そっと私だけの秘密にしておいた
「他の3人が貨物列車の音で起きて、私は鹿のことを話そうと思った。でもやめてしまった。そっと私だけの秘密にしておいた。この事はいま、ここに書くまで誰も知らない。」
大人のゴーディ
本作の隠れた名場面は実はここだと私は思っています。初見では下手すれば気にも留めず、そのまま素通りしてしまう様な場面ですが、ここに本作の軸となるメッセージを私は感じました。
私はどうしてこんなに死体が見たいのか分からなかった
「このとき、私はどうしてこんなに死体が見たいのか分からなかった。たとえだれもついて来なくても私は1人で行くつもりだった。」
大人のゴーディ
ゴーディが死体探しに拘っていた理由に関しては諸説あると思いますし、明確な正解は作中で提示されていませんでした。
個人的には、兄デニスの死が起因して、ゴーディ自身の死体探しの何かしらの原動力になっていた様な気がしました。
病気でもなく、眠ってもいなかった。死んでいたのだ
「息もできなかった。森の中が、レイブラワーの死の床になっていた。汽車は、レイブラワーから魂を抜くかのように、靴を剥ぎ取っていた。病気でもなく、眠ってもいなかった。死んでいたのだ。」
大人のゴーディ
死体をいざ目の当たりにした時の衝撃や驚きを、ストレートに表したセリフだと感じました。
決して子供だからこう感じたとはいえず、大人だって初めて死体を見たら、同じ様な感情を抱くのかもしれない、そんな考えを持つきっかけとなった本作のセリフでした。
あの人はお前をわかってないだけだ
ゴーディ「なんで死ななきゃなんない。なぜ死ななきゃなんないの。なぜ兄さんが死ななきゃなんないの。なんで、、、」
クリス「わかんないよ。」
ゴーディ「ぼくが死んだほうが。ぼくが死んだ方が。」
クリス「そんなこと言うなって。」
ゴーディ「ぼくはダメだ。父さんが言ってた。ダメな子だって。嫌ってる。父さんはぼくを嫌ってる。ぼくのことなんて嫌いなんだ。」
クリス「嫌っちゃいないって。あの人はお前をわかってないだけだ。」
ゴーディとクリスのやり取りでのセリフ。
死体は渡さない。誰にも渡さない。
ゴーディ「死体は渡さない。誰にも渡さない。」
エース「なあチビ、てめえの足ぶち抜く前に銃をよこしな。おめえに人を撃つ根性なんかねえ。」
ゴーディ「来るなエース。ぼくは本当に殺すからな。」
エース「大人しくよこせ、てめえのにいちゃんは物分かり良かったぞ。」
ゴーディ「おれのでかいやつ舐めるか。弱い者いじめの好きなチンピラ兄ちゃん。」
エース「それで全員撃つのかよ。」
ゴーディ「まさか、お前だけ。」
エース「..ただじゃ済まねえからな。」
ゴーディの狂気的な迫力は、何か「死んでしまった兄デニス」をレイブラワー自身に投影したような雰囲気を纏っていました。
兄デニスとレイブラワーの共通点は「事故で突然死してしまった」こと。
そんなレイブラワーの存在は、ゴーディにとって兄デニスと重なる部分があったのかもしれません。
たった2日の旅だったが、なぜか街が違って見えた
「レイブラワーの遺体は見つかった。だかどちらのグループの手柄にもならなかった。話し合った結果、匿名で通報するのが一番いいと言うことになったからだ。家を目指した。頭の中を色々なことが駆け巡ったが、口を開く者は居なかった。夜通し歩いてキャッスルロックに戻ったのは、日曜の朝の5時を回ったときだった。労働記念日の前の日だ。たった2日の旅だったが、なぜか街が違って見えた。小さく感じられた。」
大人のゴーディ
この体験は誰しも少なからずあるのではないでしょうか。
故郷に限らず、ありとあらゆるものが時間の経過とともに見え方は変わります。
逆の考え方をすると、故郷を「全世界」と信じ切っていられたのは少年時代だけの特別な感覚であり、もう二度と手に入らないかけがえのない物だったのかもしれません。
〜4人の別れのセリフ〜
バーン「じゃあ学校で会おう」
クリス「だな。」
ゴーディ「あぁ。」
テディ「中学校だな。」
名言とはすこし逸れますが、最後4人の別れ際でのやり取りシーン。
あれだけの仲良し4人でしたが、最後の別れはあっけなく、これだけのやり取りで終わったのが非常に印象的でした。
友達はレストランのバイトの様に入れ替わり立ち替わり変わっていく
「そのうち私たちはテディやバーンと会わなくなっていった。最後は校内で顔を合わすだけの仲になった。珍しいことじゃない。友達はレストランのバイトの様に入れ替わり立ち替わり変わっていく。バーンは高校を出て結婚した。4人の子の父親になって製材所でフォークリフトに乗っているらしい。テディは何度も軍隊に応募したが目と耳のせいで受からなかった。しばらくは刑務所に入ったが、今はキャッスルロック近郊で仕事に就いているらしい。」
大人のゴーディ
このセリフは、自分の生い立ちと言うか現状に非常に類似しており、納得と安堵の感情が入り乱れたセリフでした。
結婚をして子供を授かり、周囲の友人との付き合いは希薄になっており、しかしゴーディはこれを「よくあること」と言ってくれた。
その代わり、パパ友達ができたり仕事で出会う新しい友人がいる。
人生はまさにそんな感じで流れていくのかと、考えさせてもらえました。
ほとんど即死だったと言う
「クリスは街を出た。彼も進学コースに進んで、苦難の道だったが、持ち前の根性で潜り抜けた。大学に進学して、晴れて弁護士になった。先週彼がレストランに入ったら、すぐ目の前の2人が喧嘩を始めたらしい。1人がナイフを出した。クリスはああいう性格だったから2人の仲に割って入った。そしてノドをさされてしまった。ほとんど即死だったと言う。」
大人のゴーディ
クリスの最後を回想するシーンのセリフ。
あれだけの親友だったクリスとゴーディだが、最期は交友関係も希薄になり、人づてに聞いたような噂話の回想のみで終わりを迎える。
このあっけなさが人生なのか。誰しも別れは劇的な物語ではなく、こういったあっけない終わり方の方がよくあるのではないか、そんな考えを巡らせてくれるセリフでした。
あの12歳の時のような友達は、もう二度とできない
「クリスとは10年以上会っていなかった。だが永遠に彼を忘れはしまい。あの12歳の時のような友達は、もう二度とできない。もう二度と…」(Although I hadn’t seen him in more than ten years.I know I’ll miss him forever.I never had any friends later on like the ones I had when I was twelve. Jesus,does anyone?)
本作を代表するセリフ。
大人になるほど、このセリフが理解できる気がします。今後さらに年を重ねてから、また見てみたいなと思わせてくれる映画でした。
最後の大人のゴーディが浮かべた僅な笑みはどういう意味を持っていたのか、考察記事は以下に分けて書いてます。ぜひこちらもお読みください。













