映画「スタンド・バイ・ミー」を大人になってから改めて見返しましたが、子供の頃には感じなかった解釈や考察がいくつかあった為、今回記事化しました。
なぜ名作と呼ばれているのか、そしてラストシーンのゴーディの笑みの意味するものを個人的に考察していきます。
ぬまた当ブログ内ではその他にも有名作品の考察を趣味の延長線上で記事化してます。ぜひ他の記事も読んでくださると嬉しいです。
「スタンド・バイ・ミー」が名作と評価される理由
本作が名作として高い評価を受けている理由は、国や世代を問わず多くの大人たちが共感できるリアルな体験を映画化しているからでしょう。



正直子供の頃見たときは、あっけないラストシーンの終わり方とか、途中途中の描写がいまいちよく分かず、「どこが名作なん?」と疑問が多かったです。
また、本作に登場する各人物のバックボーンやより詳しい感情描写は原作小説を読むことでより理解が深まります。
映画では短い上映時間内に詰め込んでいる為、原作を読んでみるとかなり端折られていた部分がいくつもあったのだと驚きます。
ラストシーンのゴーディの笑みの真意
本作のラストは驚くほどあっけなく、そして意味深な言葉やゴーディの表情で幕を閉じます。
ちなみにラストシーンで父親になったゴーディは二度笑みを浮かべました。
それが、
- 息子たちに「いつまで待たせるんだよ」と言われた直後
- 原稿を書き終え、パソコンの電源を切った直後
の2回でした。
原稿を書き終えた時の彼の笑みはおそらく、もう二度と戻らない少年時代の記憶を懐かしむ感情が主なものだったと考えられます。
そして同時に寂しさも交り、その複雑な感情が笑みとして現れた可能性が高いでしょう。
しかし、その前の息子たちに呼ばれた時の笑顔に関しては、一体どういう感情で微笑んだのか、一見分かりにくかったですよね。ここに関しては個人的にさらに深掘りしてみました。
本作のテーマは「時間の経過」
別の記事でも書きましたが、本作のテーマは「時間の経過に伴う物の見え方の変化」だと思っています。
作中でも何度かその表現が登場しました。
父親になったゴーディの最後の笑みは、この「物の見え方が変わって、自分の父親が抱いていた感情」がすこし理解できたことを表していたのではないか、私は考えました。
少年時代のゴーディは、「父親は自分を嫌っている」「兄は好きだったけど自分は認められていなかった」と頑なに考えていました。
しかし父親になってみて、「息子たちを愛してはいるが、常に愛のある言葉や行動で示せるわけではない」ことや、「息子たちを愛してはいたが、長男を亡くしそれどころでは無かった父親の感情」が理解できるようになった可能性は高いでしょう。
実際私も娘を授かり、育児をしていく中で、自分の親に対する見方もかなり視野が広くなりました。
まとめ
以上、簡単ですが本作の考察でした。
結論、スタンドバイミーは”大人になった多くの人々が共感できる切ない感情”と、簡単には言葉にし難い「大人になるということ」を映像化した作品だと思っています。
それが多くの人に評価をされ、名作と呼ばれているのでしょう。
ただ欠点として映画だけでは、上映時間も短く展開も少し早すぎる気がします。
本作をもっと深く味わいたい方は、ぜひ原作も読んでみてください!(かなり面白かったです)
また当ブログでは「スタンド・バイ・ミー」に登場した名言をまとめた記事も書いてます。本作な感動をもう一度気軽に味わいたい方は、ぜひお読みください。














