この記事は映画「ターミナル」をすでにご覧になった方向けに書いております。
まだご覧になっていない方は、是非一度ご覧になった後、改めてこちらのページまで戻ってきたくださりましたら幸いです。
モデルとなったのはイラン人の「メーラン・カリミ・ナセリ」氏
映画「ターミナル」をご覧になった方の中には、
「これって実話なの?それとも100%フィクションの作り話?」
と、このありそうでありえない映画内容がどうやって生まれたものなのか気になった方も多いのではないでしょうか?
この映画の基は一人のイラン国籍男性の実話をもとにして作られていると、監督のスピルバーグ氏は公言しているそうです。

引用元:Wikipedia
このメーランさんは、イギリスへの留学時に現地で行われていた反イラン政府へのに参加したことがきっかけとなり、国からの奨学金を全て停止されられた挙句、イランへ強制送還される羽目になりました。
強制送還後、捕まってしまったメーラン氏は約4か月収監されたのち、国外追放されてしまいました。
デモに参加してしまったがために母国を追い出されてしまったわけですが、追放後はヨーロッパ各国へ亡命申請を行いました。とはいえ簡単に亡命許可が下りない中、メーランさんは「イギリスに行きたい」と考え始めました。
そこでパリのシャルル・ド・ゴール空港へ向かったのですが、不運にもパリの地下鉄で「亡命許可証入ったカバン」を盗まれてしまいます。何とかイギリスにはたどり着いたものの許可が下りるわけもなく今度はフランスへ強制送還。当然フランスへも入国できない状況に陥り、その結果約16年という長い期間空港に住み着くこととなったのがこの方なのです。
上記のように現実はやはり映画のようにうまくはいかず、かなり悲惨な状況だったことがうかがえますね。
本作で舞台となったのは「ジョン F.ケネディー国際空港」
本作で登場する空港がどこにあるのか気になった方も多いでしょう。
撮影は本物の空港ではなくセットだったようですが舞台となったのはニューヨークにあります「ジョン F.ケネディー国際空港」とのことです。
巨大都市の空の玄関口ともいえる当空港は、アメリカを代表する国際空港のひとつです。
このご時世もあり海外旅行は中々敷居が高いですが、一度は行ってみたい空港の一つですよね。
主人公の諦めない前向きな姿勢に元気をもらえる映画
映画を観て感じたことは、主人公ビクターナボルスキーの壁にぶち当たったときの対応力と前向きな姿勢の力強さでしょう。
映画をご覧になった方ならご存知でしょうが作中では主人公ナボルスキーの身に様々なトラブルが襲い掛かりました。
- 母国出国後、空港にいた際に母国でクーデター発生⇒国籍が無くなる
- 空港内の道行く人に助けを求めるが言葉が分からず途方に暮れる
- 空港でもらった臨時用の「食券」も誤って清掃係のグプタに捨てられてしまう
- 空港内に置き去りにされていたカートを利用しお金を手に入れていたが、国境警備局主任のディクソンが専用の職員を手配し、収入減を奪われる
などなど、映画冒頭から見ているこっちが気の毒になるほど次から次に災難が訪れます。
困っている人を助け続ける主人公ビクター
主人公ビクターは不器用ながらも見ず知らずの人にも助けの手を差し伸べられる心優しい男性でした。
映画冒頭でも偶然近くにいたキャリーケースが上手く閉まらずに困っている女性を助けようとしたり、不倫相手との電話で悲しんでいたCAのアメリアをなぐさめるために話しかけたり、薬をもって入国くしようとしていたが止められてしまった男性ミロドラゴビッチを助けるために機転を効かし「ヤギの為の薬」と嘘の理由をでっち上げ助けたシーンがありました。
特に印象的な「ヤギの薬」のシーンですが、ビクター同様父親思いの男性に自分を投影したのかと思います。
すべての行動に共通しているビクターの考えとしては、「見返りを求めず助けの手を差し伸べていた」点です。
全くの見返りを求めずにあらゆる人に助けの手を差し伸べることは簡単な事ではありません。
しかしその真っすぐな真面目さと優しさが回りまわってビクター自身の基へ帰ってきます。
最後には空港中のほとんどの人に愛され助けの手を差し伸べられ、ビクターは念願の父との「約束」を果たすことが出来ました。
ビクターの父に対する想い
作中で主人公ビクターがアメリアに対して、缶の中身を教えるシーンでのセリフは個人的に胸に刺さるものがありました。
アメリア「お父さんの為なら(空港に)閉じ込められても構わないの?」
ビクター「父も僕の為ならやる。」
このビクターの言葉こそ親子の間にあった深い絆を示しているのではないでしょうか。
ビクターとその父のバックグラウンドに関しては作中ではそこまで深く触れられていませんでした。ですが、このビクターの言葉だけでも父親の愛をしっかり受けてビクターが大人になった事が伝わります。
親子というものは不思議なもので、時に相手の考えが分かる時があります。それは合っている時も間違っている時もあればあるかもしれません。
父親がビクターに与えてきた愛や優しさを、ビクターは「約束」を果たす形でそれに応えました。
また、9か月間も空港に閉じ込められ、大変な思いをしてきたビクターですので、ニューヨークに行く目的は相当大掛かりな理由があるのだろうと思いきや、ふたを開ければだれでも簡単に観覧できるナイトクラブで行われていたジャズ演奏に出向き、有名な演奏者から紙切れにサインを貰うだけのことでしたが、このはたから見たら「それだけの事!?」と思わせることが辛抱の末にあった大きな「目的」であったのもこの映画の見所です。
ビクターにとってそれは、自分の身を危険に呈してでも達成する必要のある大切なものだったのでしょう。
「約束」を果たすために「待つ」ことをしたビクター
作中で出てくるセリフの中にも「人はみんな、何かを待っている」というものがありますが、人生というものは何かを待つことの連続です。映画の最後で念願のサインをもらえるその瞬間でさえも、演奏が始まるタイミングだからと少しだけ待つことを余儀なくされてしまったシーンがあり、この映画の隠れたキーワードのように感じたのは私だけではないはずです。
映画冒頭での査察官とディクソンの会話でも、査察官の引退(=ディクソンの正式な昇格)を長い間待ちわびていたのが分かるやり取りがありましたね。
この映画は人生の中で起きることの縮図のようであり、教訓にもなります。舞台となっている空港では様々な人種の人々が行き来しておりますが、その人たちには皆それぞれ目的があり、その目的を果たすために飛行機の発着を待ちわびています。とはいえトラブルが起きることも時にはあり、そのトラブルはすぐに復旧できるレベルのものかもしれませシ、ビクターのように途方に暮れるほどの期間待たされることもあるかもしれません。
しかし問題によっては一個人の力では打開が難しい時もあるでしょう。そんなときは周りの流れに身を任せ、「ただひたすら待つ」という行動が時には必要になるのかもしれませんね。
ビクターとは対照的に国境警備局主任であったディクソンのように、ビクターを追い出したいという自分勝手な「目的」の為にあらゆる行動を起こしたとしても、それが全部裏目に出ることもあるでしょう。
現代の世の中は非常にせっかちな人で溢れ、待つことが苦手な方も増えているのではないでしょうか。でも時にはただひたすら待つことも大切なのかもしれない、そう思わせてくれる大切な映画だと私は思っています。
まとめ
人生はこの映画のように様々なトラブルがつきものです。
そのトラブルに直面した時、それに抗うことが出来るかはその人次第です。誰にでも必ず大きな障壁が立ちはだかります。長いこと待たなければならない時も訪れるでしょう。
しかし損得や自分の利益のことだけを考えて行動していてはうまくいかないこともあります。
行き詰った時はこの映画を思い出して、”ただ待ってみる”のもいいのかもしれませんね。
コメント