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ぬまた
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映画「すずめの戸締り」を考察!壊れた椅子や蝶が示していたもの

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歴代興行収入ランキングでもかなりの上位に食い込んでいる新海誠監督の大作「すずめの戸締り」。

今回は、本作を2周鑑賞してみて気になった部分を取り上げて考察などしてみました。

個人的には「何気なく描かれていた演出部分」に

さりげない新海誠監督のメッセージや意図が隠されていた様に感じました。

あくまで素人映画ファンの考察ブログです!

参考程度に気軽に読んでいってください。

目次

映画「すずめの戸締り」を考察していく

ぬまた

あまりメッセージ性のない恋愛系の話かと思ったら、
かなりのメッセージ性だった、、

「壊れた椅子」の意味

個人的には、

草太自身が取り込まれることになってしまった”脚の壊れた鈴芽の椅子”にも何か意味があった様な気がしました。

ぬまた

別に呪いをかけるなら椅子じゃ無くてもいいでしょうし、鈴芽の子供の椅子の登場シーンはめちゃくちゃ多かったですよね。

それらの理由からも、「脚の壊れた椅子」を描いた理由は何かあると思っています。

現代アート「壊れた椅子」との関連性

はじめに思ったのは現代アート「壊れた椅子」との関連性です。

Wikipedia

「壊れた椅子」はスイス人の芸術家によって作られた作品ですが、主には反戦の意味を込めて作られたとか。

ちょうど左前脚が無くなっているあたりも、妙に共通していますよね。

この作品はジュネーブに作られており、ジュネーブを訪れた政治家に「反戦意識」を思い起こさせる為にあるそうです。

映画「すずめの戸締り」にも、隠された意図として「震災を忘れないでほしい」という新海誠監督のメッセージが隠されていた様に感じたのは私だけでしょうか。

震災から12年が経ってから公開された本作。

「壊れた椅子」と同じように、新海誠監督が本作を後世に残すために作られた作品と捉えても、あながち間違えではないかもしれません。

無くなった1本の脚が示す意味

また、さらに本作を観て気がついたのは、

欠けて無くなってしまった1本の脚は、

「すずめの母親」

とか

「消えてしまった希望の光」

のことを指していたのではないか、という仮説。

椅子が壊れてしまったタイミングも、分かりやすく「すずめの母親が亡くなってしまった3.11の直後」です。

新海誠監督は、母親の死や喪失を「椅子の脚」に比喩して表現していたのかもしれません。

椅子の脚は1本無くなったとしても、まだ3本残り、基本的にはギリギリ自立しますよね。

(実際本作序盤に草太がすずめの部屋を片付けているシーンで椅子は自立していました。)

ちなみに、「希望の光」を無くしたのは鈴芽だけではなく草太もです。

草太はダイジンに呪いをかけられたことで体が自由に動かず、

閉じ師としても「教師になる夢」も道半ばで諦めなくてはならない状況でした。

後ろ戸はなぜ開く?

後ろ戸が開いた場所は全て「廃墟」

「廃墟になった場所でも、かつてそこに人がいたわけですよね。いろんな喜びや悲しみがあった場所です。映画の中で、廃虚にたどりついた鈴芽が、「土地の声を聞け」と語りかけられる場面がありますが、そういうことを通して、鈴芽は「この場所には今とは違う風景があったんだ」、「かつては人の営みがあったんだ」と、人々の姿を想像していくわけですよね。場所や他者への想像力だと思います。今は人がいないから超然とした冷たい美しさになりますが、でもそこに血の通った感情があったことを鈴芽が知っていく。そういう思いを感じながら、鈴芽が東北に向かっていく物語にしたかったのです」

新海誠監督インタビューより

「大事な仕事は人から見えない方がいい」の意味

上記のセリフは本作の中盤、

神戸のスナック「はぁばぁ」に泊めてもらっている場面で草太が残したものです。

「大事な仕事は人から見えない方がいいんだ」

このセリフから様々なメッセージ性を感じたのは私だけではないはず。

鈴芽は草太の「閉じ師」としての家業を誇りに思い、「大事な仕事なのに…」と閉じ師の仕事だけで生計が立てられない現実に疑念を抱きました。

しかし、これは閉じ師の草太だけに当てはまるセリフではないのではないでしょうか?

閉じ師以外にも、あまり人目に触れないけど大切な仕事って結構あります。

震災絡みで考えると、原発事故の処理に当たった作業員の方達とか。

彼らこそ命を張って作業に当たりましたが、あまり人目には触れない大事な仕事でした。

草太の閉じ師の仕事は、もしかしたらですがそういった原発事故を暗喩する様な表現としても描かれていたのかもしれませんね。(考えすぎかな)

草太の寝相は本当に悪かった?

本作序盤のちょっとしたおもしろシーンとして「草太の寝相が悪い」場面ありましたよね。

あれだけ男前でクールキャラな草太の寝相が悪いという事実は、いわゆるギャップ萌え的展開で女性ファン層に刺さる可愛らしい場面だったかもしれません。

ただ、あの場面、

本当に草太の寝相が悪かった訳ではないのではないかというのが個人的な考察です。

いくら寝相が悪く寝起きの悪い人間だとしても、揺さぶっていくら呼んでもまったく起きてこないのはすこし異常です。

寝起きが悪かった要因は、「ダイジンにかけられた呪いの効力により現実世界(常世)との繋がりがどんどん遠のいていたから」でしょう。

神戸のスナック「はぁばぁ」に泊まっていたシーンで草太は

「遠ざかっていく。光が消える。 声が消える。 身体が消える。 こころが消える。寒い。寒い。寒い。寒い。」

という言葉を残しています。

そんな遠ざかった魂を繋ぎ止めたのが鈴芽、というのが本作のストーリー展開です。

芹澤のセリフに鈴芽が驚いた理由

本作後半部分で、

車を降りた芹澤が

「この辺って、こんなに綺麗な場所だったんだな」

という言葉を発し、

鈴芽はそれに対して「え、綺麗…?」と思わず疑念を抱いた言葉を口にしました。

この描写が示しているのは恐らく「災害当事者と非当事者の間に生まれていた解釈の乖離」でしょう。

このセリフの少し前に映し出された場面では、(一瞬ですが)土壌を運搬する大型トラックや「帰宅困難区域」と書かれた看板が映ります。

この場面から鈴芽たちが途中停車したエリアはちょうど福島原発の影響で人があまり立ち寄らなくなったエリアでしょう。

この場面を描くことで、新海監督は「被災者と被災者以外の認識の乖離」を描いていたのかもしれません。

被災者にとっては10年経とうと当時の記憶は鮮明に残っており、その地に訪れたときに「綺麗な場所」と感じることってあまりないと思うんですよね。

これは決して芹澤批判ではないですし、そう感じるのもきっと仕方がないことなのかもしれません。

ただ、改めて震災のことを見つめ直してほしいと、新海監督はそう考えたのかもしれません。

常世で飛んでいた二羽の蝶が示すもの

ラストシーン、ミミズを鎮めた鈴芽と草太は常世を彷徨っている12年前の幼き鈴芽を発見しました。

その娘のもとに駆け寄る鈴芽の後ろを二羽の蝶が飛んで後を追っていたのに気が付きましたか?

私はこの蝶の意味というか存在を考えました。

基本的に蝶は神秘的な生き物であり。他の作品でも、結構出てくることがあります。

そして、基本的には「亡くなった故人の魂」として考えられたりすることの多い生き物です。

ここで2羽の蝶が誰の化身(?)的存在だったかを考えてみました。

思い当たったのは

  • 鈴芽の母親
  • 草太の祖父

です。

ともに”物語りを完結させる場面”に立ち会いたかったのかもしれません。

常世は天国に近い場所でしょうから、なんの意図もなく蝶を描いた可能性もゼロではないです。

ただそれにしては蝶の映し方にこだわりを感じたので、やはり何か意図やメッセージはあったかなと思っています。

まとめ:本作はあの日「ただいま」をいえなかった全ての人に向けた弔い

本作の中には、

「鍵を閉める」描写が多く登場しました。

そしてラストシーンで鈴芽は「扉を開ける」描写があります。

基本は「扉を開ける」「鍵を閉める」これらの動作はセットです。

「行ってきます」と出かければ、基本的には「ただいま」と帰ってくるもの。

ただ震災当時には多くの方がこの「ただいま」を言えなかった。

そんな意味も込めて、

本作はあの日「ただいま」をいえなかった全ての人に向けた弔いの作品であった様に感じました。

皆様は鑑賞後どんな感情を抱きましたか?

面白い視点をお持ちの方はぜひコメントまでお待ちしております。

お読みいただきありがとうございました!

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