【考察】ルーシーは本当にサムの子供?母親レベッカの謎(アイアムサム)
「アイアムサム」は2001年制作のアメリカ映画です。
本作の中ではいくつかの謎が残されていますがその中の一つに「ルーシーは本当にサムの子供だったのか」という問題があります。
サムとルーシーは本当に血の繋がった親子であったのかどうか、という問題は本作を楽しむ上ではっきりさせないといけない問題ではないかもしれませんが、本作を見終わってから気になった方も多いはず。
今回はそんな疑問に対して考察したものを記事にまとめました。
【考察】ルーシーがサムの本当の娘で無かった可能性が考えられる理由
本作を頭から通して見ると「ルーシーがサムの本当の娘では無かった可能性」も考えられるのが事実です。
理由は「サムには異性に対する興味が無いかのような描写」が何度か描かれていたからです。
その描写を挙げると以下のシーンになります。
- スターバックス勤務中、女性の服の中に入ってしまった氷を取ろうと手伝いかける
- 娼婦に誘惑されても何のことか分かっていなかった(勝負が胸元をアピールしても全く効果なし)
- リタがサムの背後からネクタイの結び方を教える場面で、サムだけは何も感じていないようだった
上記のシーンを振り返るとサムは女性への興味がほとんど無いか、性欲自体が少ない自閉症の男性だった可能性が考えられます。
上記の描写はサムがとにかく純粋な男であったことを表すための描写だったことも考えられますが、もしかしたらそれ以外にも「ルーシーはサムの本当の子供ではなかった」ことを意味するためのさりげない演出だったのかもしれません。
「レベッカは赤ん坊を欲しがっていなかった」このセリフに隠された意味
映画冒頭ではサムのセリフで以下のような発言がありました。
「レベッカは”赤ん坊なんか欲しくなかった。はずみでできた”と。言っていた。」
サム
この発言からするに、まずレベッカはルーシーがサムの子供だったであろうと他の男性との間にできた子供であったであろうと「子供は要らなかった」ことが明らかです。
そしてこの「はずみ」という抽象的な言葉の中にはどんな意味が隠されていたのか。
もしかしたら「ルーシー」はサム以外の男性との間にできた赤ん坊だったが、その男には逃げられてしまった。
その矢先に出会ったのが純真無垢なサムだったという説も考えられます。
レベッカは「ルーシーはサムとの間にできた子供」と言う嘘を仕立て上げ、出産を迎えました。
アメリカは日本に比べても出産にかかる費用が高額だと言われます。
また中絶するにも、出産するにもお金の必要な社会です。そんな時にサムはレベッカにとって都合のいい相手だったのかもしれません。
出産にかかった費用の出所は定かではありませんが、望まない子供を産むためにサムが利用されてしまった可能性も高いでしょう。
また少し話が逸れますが、レベッカが去る直前、バス停前の階段を降りる「レベッカ」「サム」「ルーシー」が映る鏡面が映し出される描写は個人的に印象的です。
この場面、鏡の反射的な問題から「レベッカ」が1人だけ歩いているように見えたり「サムとルーシー」だけが歩いているようにも映し出されていました。
そしてレベッカが去った後に映し出された「One Way」の標識も「1人でルーシーを育てて行く状況になったサムは、後戻りができない」ことを表現していたようにも見えます。
まとめ
結局誰の子だったのかについては明言されないまま、本作は幕を閉じますが色々な見方をして楽しむのが映画の楽しみ方の一つだと思っています。
ただ、もし仮に本当にサムの子供じゃなかったとしても2人の間には確実に「親子の絆」がありました。
お読みいただいた方の中で他にも意見がある方は是非コメント欄までお寄せください。
お読みいただきありがとうございました。
【おまけ】「緑のたまごとハム」はAmazonでも購入可能
英語版にはなりますが、本作でも登場した「緑のたまごとハム」はAmazonでも購入が可能な実在する絵本です。
ちなみに作者のドクタースースは「グリンチ」の作者でもあります。
本作などハマりした方はぜひ「緑のたまごとハム」もチェックしてみてくださいね。
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