映画「来る」に登場した名言を振り返る(セリフまとめ)
映画「来る」は2018年公開のホラー映画。
劇中に登場する「あれ」の怖さと岡田准一、妻夫木聡、小松菜奈、松たか子など名だたる名優たちの演技に目を奪われがちですが、本作の中にはハッとさせられる名言も多く登場します。
一部では「つまらない」「怖くなかった」など酷評も受けた本作ですが、個人的には俗に言うホラー映画には無いメッセージ性に近いものも感じました。
今回は、そんな映画「来る」のセリフに注目して作った名言まとめです。
映画「来る」に登場した名言
「ちゃんと、奥さんと子供にやさしくしろって。」
「”ちゃんと、奥さんと子供に優しくしろって。そうすりゃ来なくなる”って、ふざけんな!!あんなガキに言われたくねえんだよ!こっちは必死で…!必死で家族守ろうとして…!」
秀樹
何気ないセリフですが、ここに本作の伏線に近いものが散りばめられていました。
「アレ」を招いた一番の原因は知紗が感じていた孤独でした。秀樹が家族との接し方をもう少し変えていれば本作の悲劇は起きなかった可能性は高いです。
そして秀樹自身も心のどこかでそれに気づいており、図星を言われたことで真琴にキレます。
また、その後に続くセリフで真琴は津田の存在に違和感を覚えたことを野崎に伝えました。
この時から真琴には、津田の心の闇が見えていたのかもしれません。
「あんな不気味で厄介な生き物。」
秀樹と野崎の公園での雑談シーン。
秀樹は野崎に子供が居るのか問います。
「いません。いないしいらないっす。あんな不気味で厄介な生き物。」
野崎
その後、野崎から「子供を溺愛していたのに虐待死させた親の事例」の話を聞き秀樹は言葉に詰まります。
その直後、知紗や真琴、香奈のいる部屋に異変が起こったのも秀樹の心に迷いや揺れが生じたことが原因かもしれません。
「大事なのはどうしてではなく、どうするかです。」
「わかりません。わかる必要もない。大事なのはどうしてではなく、どうするかです。」
琴子
琴子の初登場シーン。秀樹との通話で存在感を示したセリフです。
「あれ」が来る理由を敢えて開示しなかったのには、秀樹の性格を加味した上での琴子のシナリオだったのかもしれません。
理由を話しても秀樹は現実に納得しない、そう考えた上でのセリフだったのか、真実は作者しかわかりません。。
「今起きていることは全てアレの罠です。」
本作中盤、秀樹がライアーゲーム並みの罠にハメられたシーンは印象的です。
以下のセリフは本物の琴子からの留守電メッセージでしたが、あの状況下に置かれて正常な判断ができる人はほぼいないでしょう。。
「田原さんいらっしゃいますか。取らなくていいので聞いてください、真琴の姉です。今すぐ、そこから離れてください。今起こっていることは全てアレの罠です。もし無理であれば、包丁かナイフを持って鏡のある場所へ。アレは何よりも鏡と刃物を嫌います。聞こえてますか?聞こえてますね。動いてください、今すぐ。」
本物の琴子
「私は秀樹が死んでくれて、嬉しかった。」
秀樹の死後、視点は香奈に移ります。
「秀樹の葬儀の時、秀樹の母は私をなじった。”夫が死んで涙一つ流さないのか?悲しくないのか”と。私は言い返さなかった。その通りだったから。…私は秀樹が死んでくれて、嬉しかった。」
香奈
「家族想いのイクメン」と思われていた秀樹の実際の姿が映し出されます。香奈のこのセリフは下手なホラーよりも恐怖を感じるものでした。
「君に家族の何がわかるって言うんだよ。」
「偉そうに。たかが1人産んだくらいで。じゃあそっちはどうなんだよ。母親として完璧なのかよ。大体さ、君にそんな偉そうなこと言えんの?君に家族の何がわかるって言うんだよ。あんな…」
秀樹
秀樹の心の奥にあった本性が表されたセリフ。
秀樹はこの本音に向き合わず、嘘で塗り固めた偽りの姿をブログに投影していました。
「あの人は、私や知紗の気持ちとからそんなのどうでもいいの。」
香奈が秀樹の本心を言葉にした場面。
確かに秀樹は、家族を自分のためだけに利用していたのも事実。
「あの人は、私や知紗の気持ちとからそんなのどうでもいいの。ただ3人笑ってご飯食べたってブログに書きたくて、その写真載せて、いいパパぶりたくって。そのためだけに私と知紗を。」
香奈
「ちゃんと父親だったって。」
野崎と香奈の会話シーン。野崎は秀樹を庇うようなセリフを残しました。
「ご主人は…俺には、あなたと知紗ちゃんを守るために必死に頑張っているように見えました。空回りもしてたけど、それでもあの人は、ちゃんと父親だったって。」
野崎
野崎は以前自分の子供を中絶したことをずっと引きずっていました。空回りはしていたものの、出産から逃げず家族と向き合っていた秀樹に対してリスペクトの様な感情もあったのかもしれません。
「じゃあ、あげる。」
育児ノイローゼと思われる症状が出たことで、自由に生きていた香奈。
真琴に対して発してはいけない言葉を残しました。
「知紗が好き?じゃああげるよ、あなたに。」
このセリフをきっかけに、知紗に「何か」が憑依、秀樹の声で喋り出し事態は急変しました。
このシーンからも、知紗と香奈の間に心の隙間が生じたときに、「あれ」が来ることもハッキリしました。
「まるで鏡の様な関係。」
長いセリフですが、なぜ「あれ」が生きた者に執着をするのか、「知紗」を奪おうとしているのか、琴子が端的に説明をするシーン。
「私も子供は嫌いです。子供は災いを呼び込むから。真琴も、要は子供です。野崎さんは小さい頃、虫やカエルを殺して遊んだご経験は?子供たちが時々、なぜか強烈に死に惹かれ、死の匂いを嗅いでみたくなる。同じ様に死者たちも、生きた命に引き寄せられるんです。まるで鏡の様な関係。死んだ霊が生きた命に憧れ、愛し、それを奪おうとする。とにかく対処を急がないと、今異界との境界線がひどく曖昧になってるんです。亡くなった田原さんは確かブログを。とても素敵なブログ…たとえ嘘でも、逃げ込むにはいい場所です。優しいパパとママがいて、矛盾も混乱も、ひどい現実に傷つけられることもない。案外知紗ちゃんの魂は今、そのあたりに隠れているのかも。更新されてるんですよそのブログが、3日前から。怖いでしょ?」
琴子
そして知紗の心情も、琴子は言い当てます。琴子の言う通り幼い知紗には、ブログの中が理想の世界だったのかもしれません。
「お前は、俺や。」
津田の生前最期のセリフ。
「お前は、俺や。何も違えへん。誰も愛せへんし、何も信じてへん。人も、自分も。せやから、できた子供も堕ろさせた。綾ちゃん言うてたぞ?お前は死人や。死人とは暮らせへんって。これは鏡や。俺は、お前なんや。」
津田
津田が本性を表したシーンでのセリフ。津田は秀樹のことも、誰のことも信頼していませんでした。
「本当に怖いのは、霊よりも人間」を感じさせる津田の冷徹なセリフは印象的です。
「私はあなたは似ているかもしれない。」
野崎と琴子の会話からの引用。
琴子は野崎の本当の考えを理解していました。
「私はあなたは似ているかもしれない。失うのが怖いから、失いたくないものを作らない。恋人も、友人も家族も、もちろん子供も。それを作らないのは、それを失うことを誰よりも恐れているから。違いますか?」
琴子
誰よりも臆病だったが故に、中絶を選択し、ずっと後悔をしていた野崎。
本当は人思いで心優しい性格だったのかもしれません。
そしてこの言葉を踏まえると、もしかしたら本当は津田も、大切なものを失う怖さを抱えて生きていた可能性も考えられます。
「生きていると言うことは痛いと言うことです。」
霊体となった秀樹と逢坂の会話。
「生きていると言うことは痛いと言うことです。傷が付き、血も流れます。お分かりですね?あなたはもう…残念です田原さん。」
逢坂
逢坂の言う通り「痛み」というのは生きている証にもなり得ます。
このシーンのセリフは、ラストの伏線にも繋がる重要なセリフでした。
「こいつはただの寂しいガキだ。」
終盤、野崎が琴子に放ったセリフ。
野崎の言う通り、知紗の抱えていた孤独はそれだけのものだったのかもしれません。
「やめましょうよ。もうこんな、たかが子供のイタズラに。自分のこと見て欲しくて、ちゃんと愛して欲しくて、でも、どうすりゃいいか分かんないから、だから暴れて、大人困らせて、、こいつはただの寂しいガキだ。ただのガキだから。ずっと1人で寂しきゃ、そりゃ化け物とだって遊びますよ!」
野崎
野崎が言いたかったのは、悪いのは全て大人側ということ。
幼い知紗は、あまりの寂しさのあまり、「あれ」と遊び、仲良くなった事が推測できます。
ただ知紗にとって「あれ」が怖い存在だったかどうかと言うのは、何とも言えません。
もしかしたら知紗にとって「あれ」の存在する世界は、秀樹のブログやオムライスの国の世界のような、魅力的なものだったのかもしれません。
「もうこれ以上私に…」
ラストシーン、琴子は「あれ」と対峙して最終決戦に挑みます。ここで琴子が真琴に放って言葉は意味深なものでした。
「これ以上仕事の邪魔をしないで。もうこれ以上私に…いいから早く!…バカな子。」
琴子
原作の小説で琴子は最終決戦に勝利した設定です。おそらく劇中でも琴子は勝利し、生き残っていた可能性が高いでしょう。
このセリフの後に続く言葉は、ネット上でも様々な憶測がなされていましたが
- これ以上私に大切なものを失わさせないで
に近いニュアンスのセリフだった説が濃厚でしょう。
まとめ
ホラー映画としてではなく、「家族」や「大切な人」との付き合い方、向き合い方を考えさせられる本作。
お読みいただきありがとうございました。
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