【考察】何故サムはペニーコインを渡した?(映画ゴースト)
ゴーストは1990年公開のアメリカ映画。まさに不朽の名作です。
今回は、何故サムは敢えてモリーにペニーコインを渡したのかについて考察します。
あくまで個人的に私見による内容ですのでご了承ください。
「ゴースト/ニューヨークの幻」を見た感想
サムの純真な愛に心打たれた。
本作を観て感じた率直な感想は上記一択。
時代を越えて、「純愛」の素晴らしさを実感した気がします。
また本作の中に何度か登場した主題歌「Unchained melody」の歌詞は本作の内容と深くマッチしていて、更なる感動を誘います。
ちなみに主題歌の和訳が気になる方は、以下のYouTube動画がおすすめです。
【考察①】サムがペニーコインをモリーに渡した理由
サムがペニーコインをモリーに渡した訳はおそらく以下の理由から。
- 自分の存在を示すため
- モリーに幸せでいて欲しかったから
大前提として、アメリカ文化における「ペニーコイン」に対する特別な扱いがある事をご存知でしょうか。
アメリカでは1セント硬貨(ペニーと言う愛称があります)は幸運を呼ぶと言ういわれがあり、そんなペニー硬貨を
「ペニーコインとは」
アメリカでは十字架形に切り取ってアクセサリーなどに広く使われています。またお守りとしても持ち歩く人も多いようです。
サムは生前にもモリーにペニーコインを手渡していました。
サムが死後もペニーコインに拘ったのにはこうした背景があったからこそ、「死後も存在していること」を伝えるためにペニーコインをオダメイから受け取り、モリーに渡そうと考えました。
そして十字架に切り取られたペニーコインは結婚式の際などにも配られる文化があることから、「サムのプロポーズ的意味合い」も含まれていたんじゃないかと、個人的には考察しました。
【考察②】邦題「ニューヨークの幻」が意味するもの
本作の原題は「Ghost」のみ。
「ニューヨークの幻」というタイトルはおそらく邦題にのみ付けられている映画タイトルです。
この邦題が意味するものを個人的には以下のように捉えました。
「幻」は以下のような意味を持つ言葉です。
- 実在しないものの姿が実在するように見えるもの
- たちまち消えるはかないもの
「幻」と言い換えて表したかったのは、おそらくサムの霊体の存在と、「二人の愛の存在」だったのかもしれません。
サムの霊体はまさに「たちまち消えてしまう儚い存在」。
命は誰でも、遅かれ早かれ始まった瞬間から終わりに向かっていく儚い存在です。
しかしここで問題なのが「二人の愛も命とともに儚く消えてしまうのか」という問い。
この問いに対しての個人的な持論は、
「心で相手を想っていれば愛は消えない」と言うものです。
儚く消えてしまう命と対比して、永遠に消えないもの(愛)をうまく描いたのが本作の狙いだったのではないか、と私個人は感じ取りました。
【考察③】サムがこの世にとどまっていた理由
サムが亡くなったあとも現世に残り、成仏しようとしなかったのは、おそらく「強い思い残し」があったから。
サムはラストシーンで、モリー、オダメイとの別れを告げ「お迎え」の元に消えていきました。
サムは、「モリーに直接愛していると伝えられていなかったこと」に対する強い後悔を抱いたまま亡くなってしまいました。
その為、亡くなった直後に来たお迎えには連れて行かれず、ラストシーン、モリーに「愛している」と伝えた直後からいわゆる「あの世」に向かって歩いて行きました。
ラストシーンでのサムの愛しているに対してモリーが
「Ditto(同じく)」
と返した場面はまさに名シーン。
心に残る印象的な2人のやり取りとなりました。
きっと二人はまた「どこか」で巡り合うことができるのだと、個人的には感じました。
まとめ
本作を通して感じたのは、人生における大切な人との時間の過ごし方。
大切な人との別れはいつ来るか分かりません。
あなたは大切なあの人に「愛している」と伝えられていますか?
男心からして、サムのように何かと誤魔化して、愛をうまく伝えられない気持ちはめちゃくちゃよく分かります。
ただ本作をせっかく観たのなら、今日にでも何かしらの形で「愛」を伝えてみるのもいいかもしれません。
言葉で伝えるのがどうしても照れくさい方は、手紙で伝えるのも女性からすれば絶対嬉しいはずです😌
お読みいただいてありがとうございました!
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