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ぬまた
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【考察】「俺も連れてってくれよ」青木の言葉の意味は? 映画「青い春」

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映画「青い春」は2002年に公開された、松田龍平主演・豊田利晃監督の青春映画です。

独特の世界観と閉塞感のあるストーリーが印象的な本作ですが、特にラストシーンの青木の行動や、九條に放った最後のセリフについては、「どういう意味だったの?」と感じた方も多いのではないでしょうか。

今回は、映画「青い春」のラストシーンを中心に、青木と九條の関係や「俺も連れてってくれよ」という最後のセリフが持つ意味について考察していきます。

もう一度「青い春」を見てから考察を読みたい方へ

「青い春」は動画配信サービスでも視聴できます。現在の配信状況や、無料トライアルを利用して視聴する方法については、以下の記事でまとめています。

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目次

最期の青木のセリフが持つ意味を考察

劇中で最期に青木が放った九條へのセリフは意味深な物でした。

「九條、俺も連れてってくれよ、な。」

青木

今回は上記セリフについて考察してみました。

考えられる説は以下の通りです。

①「九條にとにかく認めてほしかった」という青木の気持ちが現れた説

朝日高校での伝統「ベランダゲーム」において8回手を叩くという偉業を成し遂げた九條のことを、

青木は尊敬すると同時に「どこか遠くへ離れて行ってしまう」ような感覚を抱いていた可能性は高いです。

九條が自分のことを見下し、切り捨て、高みへ消えていってしまうように感じた青木は「お前に出来ないことしてやる」と言い放ち、

13回手を叩くと言う、おそらく今後誰も塗り替えられないであろう記録を残して死んでいきました。

実際九條は先生との会話で「咲かない花もあるんじゃないですか」と非常に冷めた思想を持っていました。

結局劇中で描かれている中では九條は花を咲かせることは出来ませんでしたが、ラストシーンで青木は自身の花(チューリップ)を咲かすことが出来ました。

失明した江上と堀の関係性とは相反して、九條と青木の気持ちは次第に乖離してしまいましたが最後の最後に2人はお互いの大切さに気づいたのかもしれません。

チューリップの花言葉は「真実の愛」です。劇中でチューリップが出てきたのにもそういった意味づけがある可能性は高いです。

参考サイト:チューリップの花言葉

青木の持っていた夢は「九條を越える」こと

青木は幼少期、飛行機のパイロットになる夢を持っていました。

ただ高校時代を過ごし、黒く閉塞的な空間で将来も漠然としていた中、「屋上で8回手を叩いた九條」という存在は常に絶大的な存在感があったのでしょう。

劇中終盤、青木が「夢はパイロットでした。」と独り言を呟いたシーンからも

青木の抱いていた夢や憧れの対象は変化していたことが読み取れます。

人を殺めて青春を終わらせた者もいればヤクザになり青春を終わらせてしまった者もいた中、青木は悲願の「九條越え」を果たし、コンクリートに打ち付けられました。

ただ、死んでしまった彼のその姿は両手を上げた「ガッツポーズ」にも見えました。

悲しいようなドラマチックなような、とはいえ後味の悪い本作の終わり方は、この作品らしいラストシーンと言えるでしょう。

②「黒く閉塞した”学校”から連れ出してほしい」と言う意味が込められている説

学生時代の「学校」と言う空間は不思議なもので、どこか閉ざされたような「閉塞感」がありましたよね。

学校で起きたことは学生たちにとって人生のすべてであり、中でも朝日高校に通う彼らにとって「ベランダゲーム」の持つ意味や権力は絶対的な物でした。

しかし青木にとってはそんなベランダゲームよりも「九條の存在」自体がさらに上の絶対的存在であり本当の親友だったのかもしれません。

映画冒頭で「九條が屋上の施錠された鍵を開錠し、青木を屋上に連れ出していく場面」が映し出されていました。

九條は青木にとって、黒く閉塞された狭い世界から連れ出してくれる唯一の存在であることをこの場面では表現していた可能性もあります。

その為、青木は「おれも連れてってくれよ」と最後に言い残したという解釈も考えられます。

そんな、青木にとって唯一無二の存在であった九條。他の生徒や下級生に馬鹿にされても決してキレなかった青木は九條に見下されたところから狂ってしまいました。

最後、校舎が黒色に塗られて見えたのも、自身の体やピンポン球を黒く塗っていたのも、「九條に置き去りにされ、1人取り残されてしまった青木の心情」を表した描写だったのかもしれませんね。

まとめ

本作は難しい内容ゆえに、一部の視聴者からは理解が得られ難い作品と捉えられてしまうのも確かなようです。

ただ、読み取って行くと一つ一つのちょっとした描写にも意味があるようにも見えてくるのが本作の魅力です。

まだ1度しかご覧になれていない方は、是非2度3度と見直してみてくださいね。

ぬまた

「青い春」の考察記事は、他にも書いています。他の視点からも考察を深掘りしたい方はぜひお読みください。

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