映画、「ターミナル」は2004年アメリカ公開のヒューマンドラマ。
監督はかの有名な名匠スピルバーグが手掛けています。
映画終盤、グプタの取った予想外の行動に涙を誘われた視聴者も多いはず。
今回は、そんな映画の鍵を握る登場人物、「グプタ」に関する記事です。考察を含め個人的に感じたことをまとめました。
グプタの人物像
グプタの生い立ちやプロフィールを簡単にまとめると、以下のような形になります。
- インド出身の空港清掃員
- 女房と子供二人がインドにいる
- 故郷を離れたのは23年前
- マドラスでタバコ屋を営んでいた
- 警察官を襲ったことで逃亡し、潜伏するために空港清掃員になった
- 故郷に戻れば、殺人未遂の罪で懲役7年の刑が待っている
- 空港ではワックスで足を滑らせる客を見るのが唯一の楽しみ
この情報だけを見るとグプタは決して「良い人間」には思えません、、
そして、グプタは自分が国外追放されないためにも、敢えて「誰も目に留めない役割」である清掃員としての仕事に従事していたということ。
しかし、そんなグプタの考えや行動を180度変えたのは、本作主人公のビクターに他なりません。
【結論】グプタが自らを犠牲にしてまで飛行機を止めた理由
グプタが自らを犠牲にしてまでクラコウジア行きの飛行機を止めた理由は、ビクターに対する恩返しだったと言えるでしょう。
ビクターは自分の約束を捨ててでもグプタ含めた仲間たちを救おうとしました。
それを知ったグプタは、国外追放になることも承知で滑走路に飛び出て妨害するという暴挙に出ます。
グプタは、自分の過去の罪が原因で、それがビクターのニューヨーク上陸を妨げる足枷になってしまっている事を知り、贖罪の意味も込めてこの行動に移ったのかもしれません。
グプタの待っていたものとは何か
この映画のテーマは「待つ」こと。
世の中の人々は様々な理由から「何か」を待っています。
主人公であるビクターはニューヨークに足を踏み入れられるその時を待ち、空港主任のディクソンは役職の昇進を待ち続けていました。
私が思うに、登場人物の一人であるグプタが待っていたものは「自分が年老いて、粗相なく人生を終えていくこと」だったと思います。
粗相を起こせば国外追放となり投獄され、故郷のインドに帰ったとしても同じく投獄されるのみ。。
そんなグプタは、日々の些細な楽しみを見つけつつそんな人生の終わりを待っていたように思います。
しかし、ビクターとの出会いが受身姿勢だった彼をガラッと生まれ変わらせることになりました。
グプタが「スパイ」に恐れていた理由
グプタはビクターのことを「スパイ」と警戒していました。
初見だと頭のおかしくなったただの老人かと思われがちですが、グプタは兎に角「クビ」を恐れていたのでしょう。
年齢的にも清掃員の仕事をクビになれば再就職はなかなか難しいもの。
そしてクビになった原因によってはグプタが最も恐れていた国外追放=投獄が待ち侘びています。
グプタはとにかく安泰に人生を終えたいと願っていたため、疑心暗鬼にビクターのことを初めから警戒していたのでしょう。
グプタがビクターに激怒した理由
映画終盤、グプタがビクターに対して激怒した理由は、ビクターを心から後押ししたいと感じていたからでしょう。
おそらくグプタにとって、空港清掃員として働いた23年間の中でこのような気持ちになったのは初めてだったのではないでしょうか。
当初グプタは、ビクター自身がニューヨーク行きを諦めた本当の理由を知らずにいました。
その為、「なんであと少しのところで諦めるんだ」と激怒。
しまいにグプタはビクターに対して「臆病者!」と罵りました。
しかしそんなグプタの元に、空港警備員の一人であったウェイリンが現れます。
ウェイリンはディクソンがビクターを脅して帰国させようとしていたことも、ビクターがグプタを含む仲間たちを救うための決断をしたことも全て知っていました。
ただ、その事実を知るまでグプタは「ビクターが戦うことを放棄した」と勘違い。
最終的には自身を犠牲にしてまでグプタを救おうとしてくれたビクターに対して、グプタは恩返しをする形になりました。
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