「永遠の0」は2014年公開の作品。
原作には無かったラストの描写が描かれたことで話題になりました。
ちなみに原作はこちら。
今回は、映画評論家・岡田斗司夫氏が取り上げたことでも話題になった「ラストシーンの宮部の笑み」について深掘りをしていきます。
何故宮部は、死にゆく直前に笑みを浮かべたのか。疑問に感じた方はぜひ読んでいってみてください
岡田斗司夫氏の考察【永遠の0】
映画評論家として有名な岡田斗司夫さんも本作を絶賛しています。
岡田氏は、ラストシーン宮部の笑みを「戦える喜びが滲み出た笑み」と解釈していました。
別の言い方をすると「ようやく技を繰り出せた”男”としての笑い」です。
宮部久蔵の持っていた飛行テクニックや操縦技術はまさに神業でした。日本軍の中でも群を抜いていたはず。
しかし、周囲の一部の仲間からは逃げてばかりいる「臆病者」とヤジを飛ばされていた宮部。男として、悔しさや苛立ちを感じることは当然あったはず。
その技術を宝の持ち腐れとして使わないまま死ぬことなく、ようやく発揮できる場面が訪れたことで、宮部は戦う男として、一人の兵士として全うできた喜びに近い感情を感じたのでしょう。
ただ、個人的には宮部の笑みにはこれ以外の複雑な感情も入り混じっていたように感じました。
【考察】宮部の笑みには様々な感情が入り混じっていたはず

個人的には、宮部は特攻の直前に色々な感情が入り混じった末に笑みをこぼしたんじゃないかと思いました。
色々な感情と言っても、端的にまとめると以下のような物。
- 男として兵士として、ようやく戦える喜び
- 死んでしまうが家族の元にようやく帰れる喜び
- 犠牲にしてなった部下や仲間たちの死を自分が特攻することでやっと役立てることが出来る故の喜び
自分のことを「部下の犠牲の上で生きながらえている存在」と考えるようになりました。
その末、特攻することになった宮部は「部下や味方の死を少しでも役立てることが出来た」から笑ったと考えられます。
「たとえ死んでも、それでも僕は戻ってきます」
このセリフは宮部が生前、日本に残る妻・松乃に伝えた言葉です。
当初の宮部の理想は間違いなく”無事に生きて帰ること”でした。
その信念の強さと家族を思う気持ちは誰よりも強かったことでしょう。
ただ戦況が悪化して次々となくなっていく部下たちを見て、気持ちに変化が生じていたのも確か。
そんな気持ちの狭間で、死んだ仲間たちの為と、日本に残した家族のために選んだ選択が”特攻”だったのかもしれません。
最期の笑みは、”家族のもとに(死んで)戻れる喜び”と”仲間に繋いでもらった命を使って戦い切ることができた喜び”が現れた表情だという結論に至りました。
宮部が特攻を選んだ理由
あれだけ死ぬことを避けてきた宮部が最後に自ら特攻への道を選んだ事には多くの謎が残りました。本作の大きな謎の一つです。
ただ一つ言えるのは、宮部は特攻するしかもう道は無い状況に置かれていたという見方が正しい所だと思われます。
- 家族のもとに(死んでも)絶対に戻る約束
- 死んでいった部下の為に、少しでも報わなければならないという絶対的な責任感
この2つの想いを無視できなかった限り、両方を叶えるには特攻を選ぶほかなかった状況に宮部は置かれていたことと思われます。
家族のことを大事に思ってはいたものの、部下や戦友に対する気持ちもかなりのものであったことは、作中後半の変わり果てた宮部の姿を見れば納得できるものです。
それが、宮部が特攻を選んだ理由と背景と言えるでしょう。
まとめ:「0」=無いものが存在するということ
仏教の思想の中で「0」は特別な数字として扱われています。
概念としては、「無いものが存在している」ということ。
本作のタイトル「永遠の0」というのは、宮部が死んだ後にも彼の愛が松乃達の周りには永遠に有り続けたことを示しているのかもしれません。
宮部は死んだ後も大石に想いを託し、松乃のもとに届けることができました。
タイトルは「零戦」の0と「目に見えないものでも永遠にあり続ける」ということを指し示した意味合いがあったのかもしれません。
本記事はあくまで個人的解釈です。ここまでお読みいただきありがとうございました。
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