「最高の人生の見つけ方」は2007年公開のアメリカ映画です。
本作の中で個人的に気になったシーンの一つに、「カーターが妻の待つ自宅に帰宅する場面」が挙げられます。
エドワードと喧嘩別れをしたカーターは、最愛の妻の待つ自宅へ勇気を出して帰宅しました。
この場面でカーターは、一度手に取った自宅の鍵をポケットにしまい、敢えてインターホンを押して妻を呼ぶという行動を取りました。
今回は、この場面に一体どんな理由があったのかを個人的に考察してみました。参考程度に読んでいっていただけると幸いです。
本作劇中にも登場した「チョックフルOナッツ」

【考察】鍵を使わずにインターホンを押した理由

①「玄関を開けてもらえるかどうか」を妻に委ねたかったから
一度喧嘩別れをしてしまった妻の元に戻る決断をしたカーター。
捉えようによっては「家族を放棄した」とも捉えられます。
場合によっては、「家にあげてもらえない可能性」もゼロではない状況です。
鍵を使って能動的に玄関を開けるのではなく、妻に玄関を開けてもらい正式な帰宅を果たそうとカーターは考えたのかもしれません。
②鍵を使って家に帰ることに「後ろめたさ」を感じたから
①とやや似ていますが、自分勝手に旅に出た挙句、またもや自分勝手なタイミングで帰宅を決断したカーターは、「後ろめたさ」を感じていた可能性も考えられます。
その後ろめたさを少しでも埋め合わせるために、本能的にカーターは鍵を使わない選択をしたのかもしれません。
③「帰りを待つ大切な人」がいることを再認識したかったから
カーターは、「インターホンを押せば妻が出てくる」ことを期待し、敢えてそのような帰宅をしたのかもしれません。
カーターが帰宅し、妻に会った後の描写ではエドワードが自身の持つこれまた豪邸な自宅に帰宅するシーンが映し出されましたが、もちろんエドワードの家には誰も居ません。
個人的にこのシーンで気になったのは「部屋の明るさの対比」です。
カーターの部屋は暖色の照明が彩る明るい部屋でしたが、エドワードの家は真逆の雰囲気でした。
もちろん待つ人も居ないので薄暗く寒色系の落ち着いた照明が寂しく部屋を彩ります。やたらと広い家も、このシーンではとにかく寂しく感じました。
妻と家族に受け入れてもらえたカーターは、「夫」に戻れたとこのとき確信したのかもしれません。
④「手を繋いで歩いてた頃」に少しでも戻りたかったから
カーターが敢えてインターホンを押して妻に出迎えてもらったのは、「若かった頃を少しでも思い出す為」にとった行動という可能性も考えられます。
映画中盤、泡風呂に浸かるカーターはエドワードに対して「自分が今回の旅に合意した理由」を以下のように述べていました。
「娘が独立してからぽっかりと穴が空いた。宿題もなければリトルリーグもない。音楽会も学芸会も。喧嘩とも膝の擦り傷とも無縁だ。40年ぶりに妻と向き合った。もう何の騒音もない。気を散らすことも起こらない。私はどうしても思い出せなかった。手を繋いで歩いていた頃の気持ちを。妻は正真正銘私が恋に落ちた女だ。だが全てが変わってしまった。何かを失ったせいで。そうだろ?」
カーター
妻との関係を改善すべく、何かアクションを起こしたいとカーターは考え旅に出たのかもしれません。
その為、今までとは少し違った帰宅の仕方をカーターがした可能性は高いです。

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