「最高の人生の見つけ方」は2007年公開のアメリカ映画です。
主人公二人の味のある演技は、本作を見た多くの人の心に残る作品にまで仕上げました。
本作のラストシーンはエベレスト山頂に、秘書であったトーマスが登り切るシーンで幕を閉じます。
今回の内容では、このラストシーンが示した意味について独自に考察したものをまとめた記事になっています。
「他にもこんな見方ができる」といったご意見のある方はぜひコメントまでお寄せください。
エベレスト山頂の箱の扉は「天国の扉」を示していた(?)

個人的に見て感じたのは、「山頂の箱の扉」は「天国の扉」を表現していたのではないかということです。
ラストシーンのトーマスが山頂に到着した場面でのエドワードのセリフを振り返ります。
「だからいつの日か、私が最期の眠りに就き、天国の扉の前で目を覚ました時、そこに証人としてカーターに居て欲しい。そして天国を案内してほしい。」
エドワード
上記セリフの回想が流れる場面では、「扉」と言う単語が登場する場面で山頂に設置された骨壺用の箱がトーマスの手によって開けられる描写が映ります。
そして「カーターに居て欲しい」のセリフの場面では、カーターの骨壺と思われる缶が映し出されました。
上記のことからも、
この山頂の箱は「天国の扉が開かれてエドワードは無事、カーターと共に天国へ向かうことが出来た」と言う根拠を示していたという可能性も考えれるでしょう。
最期のシーンにおいて「空には雲一つなかった」理由とは

この描写から個人的に感じたのは、
「天国に受け入れられた」ことを表していたんじゃないかと言うことです。
以前エドワードとカーターの二人が、エベレスト登山にトライした際、あいにくのオフシーズンにより天候は最悪。
そのときの状況は、エドワードも口走っていたようにまさに「山に(家に)帰れ」と言われていたのかもしれません。
また山が二人を帰らそうとしていたのは「(アメリカで)待っている大切な人に会わせるため」だった可能性も考えられます。
二人は当初、「棺桶リスト」に書かれている項目をすべてコンプリートすることで「最高の人生」が見つけられると信じていました。
しかし実際はそれが人生にとって大切なものではなく、「無償の喜びを与えあえる人を見つける事」が大切なのかもしれません。
最後、骨壺(チョックフルOナッツの空き缶)に入れられた二人を出迎えたエベレスト山頂の天気は本作中でもあったように、素晴らしい晴天でした。
最後の場面、エベレストは決して「帰れ」とは言わず、二人を受け入れ「川の流れ」に身を任せるように伝えていたのかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
あくまで個人的解釈ですが色々な捉え方ができるのが本作の魅力の一つです。
映画終盤、カーターのセリフにもあったようにみなさんも人生を楽しみましょう。

本作にも登場したコピルアク
本作劇中にも登場した「チョックフルOナッツ」↓

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