【映画表紙の意味するもの】「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」オスカーの表情から考察

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ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」は2011年公開のヒューマンドラマ映画です。

※表紙の引用元

9・11で最愛の父親を突然亡くした少年と母親の喪失と再生の物語りはかなりインパクトがありましたよね。

今回はそんな当映画の「映画表紙」にピンポイントで着目して記事にしてみました。

「映画表紙」には、悲しげな表情で口元を押さえながらこちらを見ている主人公のオスカーが大きく写されたものになっています。

持論を交えた考察にはなるのであくまで一意見として寛容に見ていっていただければ幸いですが、この表紙にはどんな意味が含まれているのか、映画内容を踏まえながら考えてみました。

まだ映画をご覧になって居ない方は、是非ご覧になってからこちらに戻ってきていただくのがおすすめです。

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表紙の意味するもの=オスカーの心情?

当映画の題名はぶっちゃけかなり長いので、これもまたインパクトがありますが、

原作の英題では、「extremely-loud-incredibly-close」となります。

そこに含まれる「close」は「近い」という意味以外に「閉ざされている」という意味も含まれている単語です。

解釈の一つとして代表的なのが「父親自身がうるさくて、でも口は閉ざされている(亡くなっているため)」というものです。

一方で、

オスカー自身が「ものすごくうるさいけど、ありえないほど口を閉ざしている」という意味でも捉えることができるんじゃないかな?と私は思います。

オスカーはアスペルガー症候群としてある種の病気を抱えており、思ったことを空気も読まずにベラベラ喋り続けてしまうという場面が幾多もありました。

文字通り、うるさいくらいオスカーは喋ります。

オスカーのうるささや言い回しは、映画を観た人に不快感を与え、一部ではそれが原因となり映画自体の低評価にも繋がってしまっているようでした。

(映画の感想は本当に十人十色ですね。。私はまったく気にならなかったです。)

ですが、そんなオスカーでさえも人に話せず、口を閉ざしてしまっていた経験がありました。罪悪感のあまり、人に話すことすらできず抱え込んでしまったのです。

その経験というのが、劇中で出てくる「父親からの最後の電話を取れなかった場面」です。

オスカーは父親の優しさや思いを分かっていながらも、それ以上に恐怖心を感じてしまい電話を取れないまま、ビルが崩れ去る瞬間をテレビで目撃してしまいました。

ラストシーンで登場する「第6回調査探検」の調査書はそんな自分のことを面白おかしく、父親から伝授した「矛盾語」で揶揄して考えたものと言う見方もできるかなと感じました。

その為、映画表紙に映るオスカーの表情は罪悪感の影響からかどこか寂しげな目をしており、口元を手で抑えています。

誰かに話して許してもらいたいけど、話せない。口を閉ざしてしまっている、そんな描写を表しているのがこの映画の表紙写真かなと私は解釈しました。

まとめ

他の映画でも言えますが、映画表紙って何気ないような写真でもかなり多くの意味が隠されていたりもします。

今回の解釈が全然的外れで製作者の意図を全く汲み取れていなかった場合、それは非常に残念ですが、観た人、一人一人が色々な捉え方をして、それがその人にとってプラスになるのであればそれでいいんじゃないかなと、自己満足ながら思っています。

今回の内容を読んでいただき、「こういう解釈もあるんじゃないかな?」と言った新しい視点があれば是非コメントまでお寄せください。

お読みいただきありがとうございました。

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